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ハル・ノートに関する雑記



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毎年8月になると、戦争関連の記事を目にする機会が増える。
今年は「ハル・ノート」に関する記事をよく見かけた。
何か事情でもあるのだらうか。

ハル・ノートは、
1941年(昭和16年)11月27日(日本時間)、
日米交渉において、米国が日本に提示した文書。
米国のコーデル・ハル国務長官の名前に由来する。

ハル・ノートは中国及びインドからの全面撤退を要求しており、
日本の帝国主義を否定するものであつた。

当時の日本は、経済封鎖される中、米国と交渉を続けてゐた。
それまでの交渉より多くの譲歩を迫るハル・ノートを見て、
米国との交渉に絶望してしまつたといはれる。
中には、米国からの最後通牒だと受け止める者もゐた。

米国の現代史家アルバート・ジェイ・ノックの言葉。
「ハル・ノートを受取れば、
 モナコやルクセンブルグ(のやうな小国)でさへも、
 米国に対して武器をもつて立ち上がつたであらう。」

(注)ここでいふ「ハル・ノート」は
  米国の強硬姿勢を総称したもの。
  実際は、日本の機動部隊が真珠湾攻撃のため
  単冠湾(ひとかっぷわん)を出撃したのが
  1941年(昭和16年)11月26日(日本時間)なので、
  ハル・ノートを受け取る前日には
  武器をもつて立ち上がつてゐたことになる。

アルバート・ジェイ・ノックの言葉を、
戦後の東京裁判(日本の戦犯を裁く裁判)で、
ベン・ブルース・ブレイクニー(弁護人)と
ラダ・ビノード・パール(判事)が引用して
日本がおかれた立場に一定の理解を示した。

米国から無理難題を押し付けられたのだから、
日米開戦は日本だけに非があるのではない、
といふ主旨である。

そういふ一連の事柄を並べて、
日米開戦も止むを得なかつたとする論調が散見される。

気に入らないね。

明治維新以降、富国強兵策で勃興したとはいへ、
強大な米国と比べれば、日本は極東のリリパットに過ぎない。
米国との戦争は、自分の身の丈を見誤つた暴挙である。

無理な要求を突き付けられても、
日本の指導者達が選択すべき道は、
米国との戦争を回避することであつた。
非戦論者が主張したやうに、国力を比べても
地政学的な見地でも勝ち目がなかつたのだから。

米国との交渉に絶望したのなら、
おのれの無能を恥ぢて職を辞すなり、
絶望するなら個人的に絶望して腹を切るなりすればいい。
国民を道連れにする道理はない。

米国との交渉に失敗した日本の指導者達は、
誰ひとりとして腹を切らなかつただけでなく、
米国との戦争を指揮して、
国民にツケを払はせたのだから恥知らずである。

ただし、当時の日本の非戦論者に限り、
同情すべき点がふたつある。

ひとつ目は国内の敵、つまり戦争推進派の存在。
非戦論者の冷静な状況分析を無視して
米国に譲歩せず戦ふべしといふ狂信者たちがゐた。

彼らを排除する政治的な機能はないに等しく、
彼らを批判すべき新聞は無力であつた。
国民が戦争に反対しようにも、
輿論を形成する手段もない。
そんな状況下で命を賭して非戦論を唱へても
狂信者の銃口の前に犬死にするのがオチである。

ふたつ目は、
ルーズベルト大統領とハル国務長官の組合せが
最強の布陣であつたこと。
日本の指導者など比べものにならないくらゐ、
桁違ひの恥知らずだつたのである。

ルーズベルト大統領は戦争がしたくて仕方がなかつた。
レイシストで、人格に問題があつたとしか思へない。
それは、両足が不自由といふ重度のハンデがある身なのに、
弱者(特に人種マイノリティ)に冷酷であつたことからも伺へる。
開戦後、中南米で日系人を強制収容したことは、
ヒトラーのユダヤ人狩りと同じことだ。

ハル国務長官も人格が疑はれる人物である。
直接の交渉相手であつた駐米日本大使を見下してゐたのは、
根底に人種差別があつたものと断定できる。
そんなヤツがノーベル平和賞を受賞したのだから笑ふしかない。
ついでに言ふと、
同様の笑ひを何度も提供してゐるノーベル委員会に対して、
イグノーベル賞を授与すべきである。

ノーベル委員会はさておき、
米国は日本の暗号通信文を解読してゐたから、
交渉で日本を手玉に取るのは容易であつたらう。
ハル・ノートに対する日本の回答書も、
ハル国務長官は事前に内容を知つてゐて、
文書を受け取つたときは、読む振りをしたといふ。

ちなみにその回答書は日本の最後通牒ではない。
宣戦布告が間に合はなかつたシーンとして
ドラマなどに描かれてゐるが、間違ひである。

回答書は武力行使に触れてゐないのだから、
宣戦布告をするつもりであつたとしても、
間に合はなかつただけでなく、
最後通牒の要件を満たしてゐなかつたのである。

米国が日本を卑怯なだまし討ちだと批難したのは、
宣戦布告せずに戦端を開いたことよりも、
外交交渉をしながら、その一方で、
真珠湾攻撃の準備を進めてゐたことを指してゐる。
実際、真珠湾攻撃が発案されたのは1941年初頭のことである。

日本は卑怯なだまし討ちで真珠湾を攻撃した。
それは第一次大戦で戦争に嫌気がさしてゐた
米国国民の戦意高揚を図る恰好の材料となり、
大統領の支持率も向上した。
ルーズベルト陣営の思ふつぼである。

さうとも知らず、
日本国中が「真珠湾攻撃成功」に歓喜したのだから、
おめでたい話である。

米国の国力を知る日本の指導者の中には、
米国と戦争になつた場合、長期戦にせず、
短期間で戦果を上げて講和に持ち込むことに
一縷の望みを抱く者がゐたさうだ。

それすら甘い考へであつたと言はざるを得ない。
外交交渉で微塵も妥協しなかつた米国に対して、
命がけの戦争において、
講和などといふナマヌルイ妥協を期待するのは空しい。
立場を入れ替へて考へてみれば、容易に想像できることだ。

有色人種を蔑視したルーズベルト大統領とハル国務長官は、
はじめから日本と妥協する気などなく、
ひねりつぶすことしか考へてなかつたのだらう。
極東のリリパットは負けるべくして負けたのである。

それでも、まあ、日本はラッキーであつたと思ふ。
現在の平和と繁栄は敗戦の「リセット」から始まつたのだから。
旧日本軍に象徴される戦前の体制が存続してゐたら、
この平和と繁栄はなかつただらう。
戦争を挑発したルーズベルト大統領とハル国務長官に
感謝すべきかもしれない。

それを結果論だと批難する者は、
ハル・ノートを受取つた1941年時点の日本に
平和と繁栄につながる別の方法があつたことを示して、
なほかつそれが実現可能であつたことを証明すべきである。
自浄効果が期待できる方法があつたとしても
平和と繁栄につながるとは限らない。

私は10秒くらゐ考へたけど、いい方法が思ひつかなかつた。


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ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)/ What a wonderful world










# by hikihitomai | 2019-08-15 21:00 | HDR
蓮の池に正岡子規を想ふ



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不忍池に浮島式の通路が設けられ、そこで蓮を眺める趣向。
この場所には数年前まで「蓮見茶屋」があつた。
蓮を眺めつつお茶を楽しむ店である。

その名称で連想するのは、
江戸時代、不忍池の畔(ほとり)にあつたといふ出会茶屋。
「蓮茶屋」とか「池の茶屋」といふ名前だつたとか。

出会茶屋は今でいふラブ・ホテルみたゐなもの。
軽食が提供されたさうだが、
もちろん利用客の目的は食事ではない。
極楽浄土の花が咲き乱れる池の畔で、
現世の極楽を過ごしたのである。

もともと、不忍池といふ名前は、
男女が忍んで逢つてゐたことに由来するとの説もある。

「極楽は赤い蓮(はちす)に女かな」 正岡子規

明治時代、根岸に暮らした正岡子規は、
近所の不忍池に出会茶屋があつたことを知つてゐただらう。
それを念頭に一句詠んだのだ、といふのは勝手な想像。

ついでに、もうひとつ勝手な想像。
結核に苦しみながらも、
頭の中に思ひ描いた極楽で女と戯れながら詠んだのが次の一句。

「睾丸をのせて重たき団扇哉(うちわかな)」 正岡子規


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ダリダ&アラン・ドロン(Dalida, Alain Delon)/ Paroles, paroles
邦題は「あまい囁き(ささやき)」。










# by hikihitomai | 2019-08-14 21:00 | 物見遊山
玉乃光 純米吟醸 夏生 祝100%-REX



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四合瓶1,490円(税込み1,609円)
原料米:京都府産(祝)
精米歩合:60%
アルコール度数:16度

玉乃光は、八重洲に直営店があり、
一時期よく飲みに行つてました。
この酒蔵は、戦時中や戦後の米不足で、
いはゆるアル添酒がバッコしたのを憂ひ、
1964年、純米酒を復活させたのだとか。
現在は純米吟醸酒と純米大吟醸酒だけをつくつてゐ蔵です。

今回購入した酒は「祝」といふ名のお米が原料。
果物風の香がありますが、
お米の旨味(甘味)たつぷり。
冷やすとクイクイいけちやふ危険な酒です。


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オスカー・ピーターソン(Oscar Peterson)/ You look good to me










# by hikihitomai | 2019-08-13 21:00
暑いと言はぬ文化



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「惜しめども とまらぬ春の あるものを いはぬにきたる 夏衣かな」
 新古今和歌集、素性法師(そせいほうし)

季節の移ろひを歌つた一首。
惜しんでも春は行つてしまふのに、
来てくれと頼んだわけでもないのに夏が来て、
夏衣を着てゐる。

夏を厭ふだけでなく、ユーモアもありますね。
作者は春が行くのを惜しんでゐたのに、
夏が来れば来たでそれなりに過ごしてゐるお調子者。
さう解釈して面白がつてゐます。

春を待ちわび、春を謳歌し、秋に憂ひ、冬を慈しむ。
さういふ歌人たちが夏の暑さを直接的に
表現した歌はあまりないのだとか。
たとへば八代集の場合、
夏は暑いと詠んだ歌は2首しかないさうです。

 八代集は、平安時代中期から鎌倉時代初期に
 かけて成立した八つの勅撰和歌集のこと。
 成立順に、
 古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集、後拾遺和歌集、
 金葉和歌集、詞花和歌集、千載和歌集、新古今和歌集。

古今和歌集(905年)から新古今和歌集(1205年)に至るまで、
300年に渡つて撰集された歌は合計で、9425首。
その中に、夏は暑いと詠んだ歌は2首しかないのだから、
いはゆる「有意な傾向がある」と言へるでせう。

などと偉さうに書いてますが、
肝心の2首を提示することができません。
その2首を思ひだしたからこの駄文を書き始めたのに、
書いてゐるうち忘れてしまひました。

をかしな記憶力ですね。
八代集はスラスラと羅列することができたので、
まだボケてゐない筈なのですが。
ムネーモシュネーの女神に嫌はれてゐるのかも。

それはさておき、夏は暑いと詠んだところで
人々から愛される歌にはなりにくいでせうね。
みな、暑さにウンザリしてるから。
それで、歌人は暑さ以外に夏の興趣を求めたのでせう。

清少納言は枕草子に四季それぞれの趣きを書いてます。
夏は夜がいいと断言してゐて、暑さには触れてません。

「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、
 ほたるの多く飛びちがひたる。
 また、ただ一つ二つなど、
 ほのかにうち光りて行くもをかし。」

加へて、冬は早朝に趣きを感じるさうです。
「冬はつとめて。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず(以下略)」

夏の暑さを敬遠し、冬の寒さを受け入れる姿勢は、
吉田兼好の徒然草も同様です。

「家の作りやうは、夏をむねとすべし。
 冬は、いかなる所にも住まる。
 暑き比(ころ)わろき住居(すまひ)は、
 堪へ難き事なり。」

夏の暑さが凌げる家にするのが肝要、
冬の寒さはなんとかなるが、暑い家はタマラン、と。

現代は、エアコンがあるから
屋内の暑さ対策は容易になりました。
あとは涼しくなつた部屋で何に夏の興趣を求めるか。
それは、まあ、八代集の頃も現代も、
興味が向く方角に大きな違ひはないでせう。

といふわけで、西東三鬼の俳句。
夏の歌ですが、もちろん
暑さを詠んだものではありません。

「おそるべき君等の乳房夏来る」
「中年や遠くみのれる夜の桃」


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モービー(Moby)/ Summer










# by hikihitomai | 2019-08-07 21:00 | 物見遊山
「総乃九十九里」純米吟醸 無濾過生酒-REX



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四合瓶1,350円(税込み1,458円)
原料米:国産米(銘柄表記なし)
精米歩合:60%
アルコール度数:16度

際立つた特徴がないので、
酒だけで飲み比べたら見劣りするかも。
でも、この酒はご飯に合ふから、私は好きです。


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リロイ・ビネガー(Leroy Vinnegar)/ Walkin'










# by hikihitomai | 2019-08-06 21:00