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末期癌の日々
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うちのおくさんが腫瘍摘出の手術を受けてから1年が経ち、
余命宣告を受けた日から起算すると2カ月が経過した。
「あと何日」とカウントダウンするのは切ないから、
「新しい朝が来た」とカウントアップする。

どのように解釈しても困難な状況に変わりはないが、
うちのおくさんはもうじき48歳の誕生日を迎える。

死ぬまでにもう一度家族旅行に行きたい、というのが本人の希望。
かなえてやりたいと思う。
しかし、大きなイベントは体力的に難しいのが現状。
小さな楽しみを積み重ねられるように対処している。

先日は、うちのおくさんお気に入りの喫茶店でお茶を飲んだ。
実にささやかなイベントではあるが、静かにお茶を楽しむ時間は貴重である。

最近、本人も申告するとおり、発声が不明瞭になってきた。
手術後、顔面の片側が麻痺したので、その影響がいちばん大きいのだが、
食べ物を飲み下すときも咽喉に違和感を覚えるようになったという。
癌の転移が影響しているのだ。

顔面麻痺といえば、
まぶたの開閉に支障があるため、右目だけ大きく開いている。
やつれた顔にあって、右目だけがパッチリしていて妙にかわいい。

あちこちが可愛らしく変貌すれば世話がないが、
末期癌はそれほど粋なものではない。
むしろ不粋の極みといえるだろう。

その典型が右耳周辺に表れている。
火傷を負ったようにただれていて、粋な措置とは言い難い状況である。
耳の中の癌細胞が表皮まで到達し、炎症を起こしているのだ。

もうひとつ、最近の気になる傾向として、
言っていることが論理的でなくなってきた。
論理的でないのは癌を患う前からのことだけれど、
この頃、支離滅裂な印象を受けることがある。

癌の進行状況と薬の影響が新たな段階に入ったのだろう。
新たな段階といっても、歓迎すべきものではないが。

夜中に鎮痛剤を飲ませるとき、痛みがあるのに薬を拒絶することがある。
本人なりに理由らしき言葉を並べるのだが、拒否する理由になっていない。
なにより、痛いのは本人なのだから、
鎮痛剤を拒否すれば苦しむ時間が長引くだけである。

なだめながら薬を飲ませ、床につかせる。
横たわると気持ちが落ち着くのか、手を握ってくれという。
いつものリクエストである。

骨ばった手を握って目を閉じると、夜の静寂が再認識され、
いっしょに深い闇に落ちていくような恐怖にとらわれる。
怖いだけならまだしも、夜の静寂はとても悲しい。

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レジーナ・スペクター(Regina Spektor) / Samson
「サムソンとデリラ」の物語にちなんだ美しい歌。
by hikihitomai | 2011-01-15 23:51 | 物見遊山
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