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お花畑


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SONY 70-300mm F4.5-5.6 G SSM


文具店で喪中葉書の広告を見かけた。
ご注文はお早めに、と。

去年は文面とデザインを考え、喪中欠礼を出した。
もう一年も経ってしまったのかと感慨にふけるでもなく
ぼんやり考えていたら、古い記憶がよみがえった。
歳をとると将来の夢もなくなり、遠い過去ばかり思い出すようだ。

約30年前、個性的な女性と交際したときの話。
うちの奥さんと交際するより前の、古い話である。

個性的な彼女をひとことで表現すれば、頭の中がいわゆる「お花畑状態」。
臆面もなく書いてしまうのだが、私は彼女に「王子様」と呼ばれていたのである。
これほど品性に欠ける王子様もいないだろう。
彼女のお花畑ぶりがわかろうというものだ。

「るんるん、わたしの素敵な王子様、るんるん」
お花畑は歌うように私に呼びかけた。

それだけを書くと単なるバカ女に見えるかもしれない。
しかし、意外といっては失礼だが、彼女には意外な能力があった。
英会話が得意なのであった。
帰国子女でもなく、特別な勉強をしたわけでもない。
学校で習っただけで話せるようになったそうである。

会話はもちろん、読み書きもままならぬ私にとって、
彼女の英会話は理解しがたい現象であった。

そんな彼女は積極的にお花畑状態を楽しんでいたようである。
「るんるん」は当時の流行語だったのかもしれないが、
確かなことはわからない。

ある朝、お花畑から電話があった。
買ったばかりのスクーターが故障したという。
いい加減な品物を売りつけられたと怒っていた。
バイク屋に文句を言いに行きたいのだが、心細いからいっしょに来てくれ、と。

そんなわけで、お花畑に会いに行った。
彼女は相変わらず怒っていたのだが、
とりあえずスクーターの症状を確認することにした。

なんのことはない、「故障」の原因はガス欠であった。
給油しなければ走らないよと説明しても彼女は聞く耳を持たなかった。
「スクーターを買ってから給油なんか一度もしたことがない」と言い放ったのである。
だから走れなくなったんだよ、と説明してもしばらく彼女は納得しなかった。

ガソリン不要の内燃機関を信じる彼女に対して新鮮な驚きを感じたのだが、
そんな彼女に運転免許を与えた試験制度を批判すべきかもしれない。

ガス欠とは関係なく、彼女との交際は一年くらいで終わった。
振られたのである。
彼女の言葉を忠実に再現すると次のようになる。
「あなたみたいに頭が変な人とは、これ以上つきあえない」

その主張はたぶん正しいと思う。
それ以前に交際していた女性にも同じようなことを言われた身としては、
甘受せざるをえないのである。

ついでに書いておくと、うちの奥さんになった女性からも
交際中「頭がおかしい」と何度も批難されたが、別れることはなかった。
頻繁にバカとも言われたし、頻繁すぎて挨拶みたいなものだったから、
男と女の関係なんて、わからないものだ。
そういうことにしておこう。

交際は終了したが、お花畑とは2回も再会している。
一回目は、うちの奥さん(になる女性)とデートしていたときのことだ。
そういうとき最も会いたくない人物に、渋谷の109で遭遇したのである。

お花畑は妹と買い物に来たという。
簡単に時候の挨拶を交わしただけであり、
お花畑から爆弾発言が飛び出したわけでもないのに、
うちの奥さん(になる女性)は機嫌を損ねてしまった。

目と目で会話したのが許せない。
そういう理由であった。

確かに目で合図を送り、返事を受けた。
後ろめたいことはなかったけれど、なにしろ相手はお花畑だから、
どんな発言が飛び出すか、わかったものではない。
そこで、余計なことは言うなよと目くばせをしたら、ウィンクを返してきた。
ほんの一瞬のやりとりであったが、
うちの奥さん(になる女性)は、それを見逃さなかったのである。

二回目の再会は、仏壇の写真との面会であった。
お花畑が亡くなったのである。
22歳であった。

葬儀は近親者だけで営まれ、亡くなったことが関係者に通知された。
私にも通知が届いたのは、交際中にお花畑へ出した年賀状が遺族の目にふれ、
連絡先が判明したからである。

電話でお悔やみを伝えたところ、
応対した母親に線香をあげてやってくれと切望された。
断る理由はない。
弔問することにした。

お花畑は、婚約者の子を流産したそうだ。
そのあとひどく体調をくずしたため結婚式が延期され、
ふさぎこんでしまったという。
自死を思わせる状況であったが、
母親が言葉を濁したので、それ以上は聞かなかった。

仏壇には何枚かの写真が飾ってあった。
その中の一枚に私が撮影したものもあった。
彼女の成人式で撮った晴れ着姿である。

成人式の折は、母娘の2ショット写真も撮影したのだが、
とても若い母親だったから、現像された写真は姉妹のように見えた。

その母親から「おもしろい葉書が出てきたのよ」と、
かつて私がお花畑に送った年賀状を見せられた。
仏前で、自分の年賀状を見た私は言葉に詰まった。

親しく交際していたときの年賀状である。
とんでもないことが書いてあった。
おっぱい星人さま、新年あけましておめでとう、ちんちん星人より。
きんたまの絵も描いてあった。

娘の死を知らせるため年賀状を調べていたとき、
きんたま葉書を目にした遺族はどう思っただろうか。
母親からは仲良くしてくれてありがとうと礼を言われたが、
言葉どおりに受けとめてよいのか、見当がつかなかった。

ちなみに、仏壇に飾られていた晴れ着姿と同じ写真が
今でもうちの押入れのどこかで眠っていると思う。
捨てる予定だった物の中から救出されたからである。

結婚を前に、荷物を整理した折、
写真は廃棄予定物の中から救出されたのであった。
救出者は、うちの奥さんになった女性である。
「かわいい娘の綺麗な写真なんだから、捨てないでとっておこうよ」と。

背筋が凍りつく発言と解釈するか。
それとも、言葉どおりなのか。
うちの奥さんの場合、いつも言葉どおりであったから、
平穏な解釈を採用することにした。

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マンハッタン・トランスファー(The Manhattan Transfer)/ Chanson d'amour
by hikihitomai | 2012-10-16 21:00 | 物見遊山
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