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知性の地平線



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神は存在するのか、しないのか。
ある者は、コインの表側を見て「表」と主張し、
ある者は、同じコインの裏側を見て「裏」と主張している。

古代ギリシアのアリストテレスによれば、
ものごとには結果に対する原因が必ずあって、
根本的な原因を次々と追及していくと神にたどりつくという。
アリストテレスによる神の存在証明と呼ばれるものだが、
なんのことはない、
知性の地平線の向こう側を神の園と命名したに過ぎない。

「過ぎない」などと切り捨てるのは私の個人的な見解である。
わからないことを、神という別のわからないものに置き換えたところで、
原因を究明したことにはならない。

わからないものであっても、人類の信仰の歴史は長い。

多くの場合、神への信仰は教育や生活習慣によって始まり、
それが引き継がれていくという。
家族に連れられ教会に通ううち信仰するようになるのであって、
はじめに神ありきで信仰が始まるものではないらしい。
バートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872-1970)が何かに書いているのだが、
うろ覚えなので多少の誤認があるかもしれない。

私は、教育や生活習慣において、信仰とは無縁な環境で育った。
神を信じるに至る機会がなかっただけでなく、
中学生か高校生の頃、神を否定する意味で、先哲の言葉に感化された。

ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1804-1881)の言葉。
「知識の限界で宗教が始まる」
フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche, 1844-1900)は辛辣である。
「信仰とは真実を知りたくないという意味である」
エリック・ホッファー(Eric Hoffer, 1902-1983)も語っている。
「山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない」

それらは、当blogで何度か引用している言葉であるが、
いずれも、知性の地平線を広げる努力を放棄するなと警告している。
安易に神を頼るな、と。

そう解釈した若い頃の私は無神論者になり、今に至る。
無神論者といっても、神は存在しないのだと積極的に主張することはないから、
特定の信仰とは無縁、あるいは無宗教というべきかもしれない。

そんな私が無神論であり続ける理由は単純である。
居心地がよい。それに尽きる。
おそらく、神を信仰する人々も、そうする方が居心地がよいのだろうと想像する。
要は、神を信仰するのもしないのも、
生活環境による影響が大きいのであって、
神の存否は間接的な要因なのだと思う。

特殊な環境によって信仰が始まるケースもある。
特殊ゆえに、信仰に対するアンチテーゼとして、無神論より適切かもしれない。
カーゴ・カルト(cargo cult)である。

未開の地で、初めて輸送機を見た現地人は、
飛行機を神あるいは神の使いとして崇めたという。
いうまでもなく、飛行機は現地人の知性の地平線の向こう側から飛来したものである。
彼らは飛行機や空港施設の模造品をつくり、それが信仰になった。

カーゴ・カルトを笑い飛ばすことは簡単である。
しかし、カーゴ・カルトを笑うのであれば、
文明の地におけるすべての信仰を、笑い飛ばすべきであろう。
無遠慮に観察すれば、厳粛な宗教上の儀式はすべて、
カーゴ・カルトにおける模倣行動と本質的に同じものなのだから。

私の興味は、信仰とは別の観点で神をとらえるケースにある。
神の存在を便宜的に肯定すると、物事を端的に説明できることがあるからだ。
その典型的な使用例を数学者が示している。

「神は存在する。なぜなら数学に矛盾がないから。
 悪魔も存在する。なぜなら、それ(数学に矛盾がないこと)を証明できないから」
クルト・ゲーデル(Kurt Godel, 1906-1978)の不完全性定理に関連して、
アンドレ・ヴェイユ(Andre Weil, 1906-1998)が発した言葉である。

もちろん、ヴェイユは神の存在を肯定したのではなく、
完全な体系の象徴として神を引用したに過ぎない。
象徴という意味では、万能のブラックボックスを想定し、それを神と呼ぶこともあるだろう。

ちなみに、不完全性定理は「純粋に」数学の定理であって、
知性の限界を示すものではないし、神にも言及していない。

神の存在証明が行きつく先は、
象徴としての位置づけを除外すると、次の3パターンのいずれかになる。
・神の存在が肯定的に証明される。
・神の存在が否定的に証明される。
・神の存在証明そのものが不能であると証明される。

この中で最も面白いのは「神の存在が肯定的に証明される」ことである。
そこで、天罰を恐れぬ無神論者は考えた。

アンドロイドが電気羊の夢を見るとき、
人類は神の存在を肯定的に証明することは可能か?


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カール・オルフ(Carl Orff)/ 「カルミナ・ブラーナ(Carmina Burana)」から「 おお、運命の女神よ(O Fortuna)」
by hikihitomai | 2015-11-19 21:00 | 物見遊山
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